贈ったあと、
育っているか聞いていいものか
聞いていいのだと思う。ただ、「育ってる?」と正面から確かめるのはやめた。 かわりに、自分の鉢の話を先にする。そうすると、相手はどこまで話すかを自分で決められる。

贈ってからひと月ほど経った頃、ふと気になった。あの鉢は、いまどうなっているのだろう。 聞きたい気持ちと、聞かないほうがいいという気持ちが、同じくらいの重さであった。 枯らしてしまっていたら、相手に気まずい思いをさせる。そう考えて、何度か言葉を打っては消した。
確かめる問いと、分け合う問い
「育ってる?」という一行は、短いぶん、答えの形が決まってしまう。 元気です、か、実は枯らしてしまって、のどちらかしかない。後者を言わせる側になるのは避けたかった。 それで、聞きかたを変えた。うちの鉢に新しい葉が出た、という話を先にする。 そこから相手が自分の鉢の話をするかどうかは、相手が決めればいい。 植物に添える言葉を一行にしたときと、同じ考えかただった。 渡したあとの会話にも、余白のほうが要る。
ひと月ほど、待ってみる
聞く時期も、少しずらすようになった。届いてすぐは、見た目がほとんど変わらない。 新しい葉が一枚増えるまでには数週間かかるから、その前に聞いても、相手には話せることがない。 ひと月ほど置くと、たいてい何かしら変化が起きている。 葉が増えたか、置き場所を移したか、水を替える曜日が決まったか。 贈られた植物がその後どう育っていくかは、贈った側からは見えない時間の中で進む。 その時間を、こちらが急かさないほうがいい。
枯らした、と言われた日
一度だけ、枯らしてしまったと言われたことがある。 そのとき私が言えたのは、自分も同じように枯らしたことがある、ということくらいだった。 育てかたを説明し直そうとして、途中でやめた。それは相手が求めていることではなかった。 しばらくしてから、もう一度別のものを渡した。水の残りが外から見える、透明な器のものを選んだ。 確かめやすい仕立てにしておけば、次は言葉で聞かなくても済むかもしれないと思ったからだった。
聞いていいかどうかではなく、相手が答えやすい形にできているかどうかなのだと思う。
贈ったものが、その後どうなったか。知りたい気持ちは消えないけれど、 知らないままの時間も、贈り物の一部なのかもしれない。
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